美鈴が丘中1年から陸上を始め、3年時には全国大会出場。
法政大学入学後、インターカレッジでは1500m、5000m、10000mで活躍し、大学陸上界を代表する選手となる。
箱根駅伝では2年時に1区で区間賞、3年時が2区で区間2位を獲った。
学生陸上選手の中にあっては異様なキャラだったため、箱根駅伝を中継する日本テレビを中心にマスメディアが大きく取り上げ注目された。「ビジュアル系ランナー」「爆走王」などの異名も頂く。法大のエースとして名実ともに活躍。4年時には2区を走り、学生長距離界のエース、区間新を狙ったものの、わずか
5.4キロ地点で右足を痛めた。指揮官である成田道彦監督は棄権させようとしたが、66回出場の伝統のたすきを繋ぐため、監督との攻防を続けた。突然の肉離れであった。この光景は観る者の目を釘付けにしたが、監督らに取り囲まれ、途中棄権。徳本は大会史上8人目の途中棄権者であり、箱根駅伝の歴史において最短距離(スタートから28.6km地点)でのリタイア劇となった。
2003年、2004年、日本選手権男子5000m連覇。一時スランプに陥っていたが昨年ひざを手術。06年頭に復活し、2006年世界クロスカントリー選手権福岡大会の男子シニア12キロの代表に選出。
07年初開催となる東京マラソン(CX)で初マラソンに挑戦、一時は日本人トップ争いに絡み、5位入賞を果たした。
07年4月より順天堂大学大学院入学。長距離界では初の試み。
戦績
年 | 大会名 | 結果 |
---|---|---|
1996年 | 日本ジュニア1500m | 優勝 |
1998年 | 福岡国際クロスカントリージュニア 8km | 2位 |
2000年 | 東京箱根間往復大学駅伝 | 1位区間賞 |
2001年 | ユニバーシアード北京大会 | 3位 |
2001年 | 日本学生選手権 1500m/5000m | 優勝(2種目とも) |
2003年 | 全実業団対抗駅伝日本選手権 5000m | 6区区間賞 |
2003年 | 日本選手権5000m | 1位 |
2004年 | 日本選手権5000m | 1位 |
2006年 | 世界クロスカン
トリー福岡大会 12km |
35位 |
2007年 | 東京マラソン | 5位 |